60 years since the A-bombings |
本書を1945年8月6日広島、8月9日長崎に投下された原子爆弾によって、命を絶たれた20万人余りの犠牲者と、被爆の後遺症と闘い、苦しみながら亡くなった多くの人々に捧げます。 この原爆は幾千年の人類の歴史にいまだかってない悲惨な「原爆地獄」でした。生きながら焼かれる肉親を助けることもできず、水を求める人に与えることもできなかった、あの日のことを忘れることはできません。 この悲惨な体験を少しでも理解していただきたく、神奈川県在住の被爆者が心を込めて描いた絵と証言です。 原爆投下から60年がすぎました。国際司法裁判所(ICJ)の「核兵器による威嚇および使用は一般的に国際法違反である」との勧告的意見にもかかわらず、また多くの国際条約の存在も無視され、核保有国は増大し、新たな核兵器の開発実験が続けられています。 広島・長崎の市長は世界の指導者が広島・長崎を訪れ、原爆の惨状を自分の目で見て欲しいと訴えています。そして核兵器廃絶のために発言し行動することを求めています。 この絵と証言は原爆の惨状の一部を伝えるものでしかありません。目に見える多くの悲しみと共にそれを通して目に見えない傷にも思いを馳せてください。いまも原爆の後遺症は残り、多くの被爆者が体と心の苦しみに耐えています。そして訴えています。 「私たちが受けた原爆の被害を知って欲しい。そして核兵器は止めて欲しい」と。 この「忘れられないあの日」が原爆被害の真実を伝える一助となり「再び被爆者をつくらない」「核兵器も戦争もない平和な世界」の実現に役立つことを願ってやみません。 最後に神奈川県知事はじめご協力いただいた方々に、心から厚くお礼申し上げます。 神奈川県原爆被災者の会 画像をクリックすると拡大画像になります。 |
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きのこ雲 |
ピカッドーン |
被爆の三態 |
痛みを耐えて救護を待つ |
電車の中で黒焦げに |
被爆10分後、防空壕内で |
被爆7日目、臨時救護所で |
火に追われて逃げ惑う |
黒い雨に打たれた卒業証書 |
荷車の上の産婦 |
瀕死の少女に上着を |
瓦礫の中に妻と長男の顔が |
防空壕に響くうめき声 |
それはまさに地獄列車-1 |
それはまさに地獄列車-2 |
一人で逝ってしまった |