にのみや・おおいそ九条の会講演会

「憲法改正問題をめぐる報道の問題点-大手新聞の体質―」
2007年7月7日
                           

講師:石川 旺 上智大学教授

7月7日ラディアンミーティングルームで開催された表記講演は会場一杯の約60人が参加されました。赤ちゃんを連れたお母さんからシニアの方まで多彩な年齢層の男女が熱心に講演を聴きました。

あらためて現在の大手メディアの報道姿勢の問題点が明らかになりました。

現在の政権はさまざまな政策を指向する。市民がそれに疑問を提しようとするとき、日本の大手メディアは市民の味方ではない。それは日本のメディアに内在する歴史的な体質であり、その体質は近年さらに強化されている。と結びました。

 レジュメ

「憲法改正問題をめぐる報道の問題点-大手新聞の体質―」
                     ラディアン・2007.7.7
                           報告 石川 旺

1. 戦後の日本の最大の争点であり続けた憲法9条
     「争点」となった国際状況  朝鮮戦争と冷戦構造
     対米従属とアメリカの軍事戦略 
        押付けられたのは憲法9条か、それとも再軍備か

2. 転換点としての1960安保
     反対運動の原点「日本はアメリカの戦略に組み込まれて再び戦争をするのか」
     6.15と露呈した報道の体質「7社共同宣言」  

3. なぜ日本の主流メディアに政権寄りの体質が内在するのか
     戦前の新聞の戦争協力   
     戦後処理の中での戦争協力新聞の存続➡GHQの政策 戦前体制の利用
        占領下における占領政策への従属・協力 マッカーサー礼賛

     1960.6.15 の共同宣言はそのような体質を「見せてしまった」 阿部の論評

     しかし、普段は「公正中立、政府からは独立したメディア」という
姿勢を装っている。
    70年代 公害問題 大都市における革新知事の誕生 etc.
4. 80年代以降のメディアの変貌 
     一定の立場を明瞭にし、世論に働きかけることをためらわない姿勢
     政権とともにあり、政権の意図を先取りする積極的活動
     
つまりもともとあった体質が明瞭化した
   ということは戦後の日本は本当の意味でのジャーナリズムを持ったことが無い?
     

5. 典型例としての読売新聞の事例
     正力の時代 憲兵が社長に就任した新聞
        戦争中の部数の拡大
        戦後の正力の動き  米国国務省との関係 プロ野球、TV、原子力発電
        保守合同への根回しとアメリカの政略
        対米関係への自信と首相就任への意欲       
自民党政権の閣僚として入閣 
     渡辺恒雄
        中曽根との関係
        旗幟鮮明な論調➡憲法改正 戦後最大の争点への取り組み
                提言という名の世論誘導
試案の発表・憲法/教育基本法  

6. 読売論調の影響 
      大部数の影響力  毎日と朝日の変貌
      2007.5.3の 各紙分析  中央紙の改憲論調と地方紙の護憲論調 
             ➡中央紙の政府密着体質を露呈

7. 世論誘導の道具としての世論調査
      展開した論調を自社の「世論調査結果」によって「正当化」する手法
      世論調査の設計の問題点➡意図した結果を導くような設問

   内閣支持率調査・政党支持率調査は選挙に最も大きな影響力を持っている
   
      調査設計をする側の問題 VS 答える回答者の問題

8. 市民の責任
    認識するべきこと   
* 一人ひとりの市民は戦争への内発的な動機を持たない
      * 軍は市民を守らない ➡ 沖縄の事例
      * 戦争で「処理」された問題は有るが「解決」された問題は無い
      * 現在の政権はさまざまな政策を指向する。市民がそれに疑問を提しようと
するとき、日本の大手メディアは市民の味方ではない。それは日本のメディアに内在する歴史的な体質であり、その体質は近年さらに強化されている。
      

参考資料 1. 「パロティングが招く危機-メディアが培養する世論―」石川旺、
リベルタ出版、 2004 
参考資料 2. 朝日新聞 2007.6.24 朝刊3面 記事「『世論』って」
参考資料 3. 読売新聞の論調
1984.1.1 拡大社説 「21世紀へのビジョンを求めて」
1990.8.29社説は「憲法制約の見直しを求めて」
1991.5.3 憲法記念日に社説「国際貢献に多面的な憲法論議を」
1991.12.3 PKO協力法案衆院通過
1992.1.30 読売憲法問題調査会発足
1992.12.9 読売憲法問題調査会が提言提出
 1993.3 NHK世論調査で憲法改正必要が初めて不必要を上回った。38%対34%
1993.4 読売新聞世論調査ではさらに大きな差          50.6%対33.4%
1994.11.3 読売改憲試案を発表

1999.1.1 社説「ゆがんだ『戦後民主主義』の軌跡を正し、活力ある日本の進路を開け」

 「戦後民主主義」三つの大罪
  現在の危機は、日本社会の随所で「活力」が失われていることに最大の原因がある。なぜ日本の活力は低下したのか。
第二次大戦後の日本は、帝国主義、全体主義を脱して、民主主義国家に生まれかわった。民主主義の定着が、日本を今日の平和で豊かな国に発展させる基盤となったことは、疑う余地がない。
しかし、半面では、東西冷戦下で、当時の中ソ両国に代表される社会主義勢力と、それに同調する“進歩的文化人”といわれた人たちの影響もあって、本来の民主主義とは異なる、日本独特の「戦後民主主義」と呼ばれるような、不健全な性格をもつ思想も広がってしまった。
「戦後民主主義」の不健全性は次の三点に要約できる。
一 戦争は国家が起こした、だから国家権力は悪だ、という論法で国家を敵視し、ひいては義務を怠って権利だけを主張する無責任な風潮を植え付けた。
二 機会の公平のみならず結果の平等を追求する、平等至上主義ともいえる誤った観念を生み出した。
三 社会主義国は平和勢力で米国は戦争勢力だという偏見に立ち、日米安保反対を煽り、一国平和主義を浸透させた。
これらは、いずれも、日本が活力を失い、国難の渦中で迷走を重ねている根源的な要因である。
しかし、今でもなお、その弊害を、弊害と感じずに当たり前と思う人も少なくないようだ。こうした偏向したマインドコントロール状態を克服することが、日本再活性化の上で急務だ。

2000.4.15 読売憲法意識世論調査 改正賛成が初の60.0%  反対 26.7%
2000.5.3  憲法改正第二次試案


素晴らしい町二宮