自髭神社の奉射祭について04(H16)1、6。
 (船津 記)
1月7日ここ白髭神社で午前10時から行なわれる「弓の神事」が奉射祭「ぶしやさい」です。「小田原市の重要無形民族文化財」に指定されています。
古くはこの神事は日の出の時刻に行なわれていました。
今から60年ぐらい前、私が小学生の頃には「やぶさめ」と呼ばれていたように思います。同じ弓の神事でも人が馬に乗って弓を射る神事が「やぶさめ」で地上に立って射るのが「ぶしやさい」だと聞いています。いつの頃からかここに書かれているように奉射発とかくようになりました。先日、寒川神社に同じような弓の神事があり武佐祭と書いて「ぶしやさい」と読ませていると聞きました。
起源はいつかよく分りませんがこの地中村郷には今から800年前頃源頼朝に天下をとらせた中村武士団があったわけですから神社の境内などは弓の練習場としては最も適していたのではなかったかと考えられます。またつい100年程前までは、「米」はもっともたいせつな生産物でした。米の出来の良し悪しは個人だけではなく国全体の大問題でした。そこで悪疫を払い、米の豊作を祈る行事が全国の神社は勿論いろいろの所で行なわれていた、多分この神社でも行なわれていたのだろう。弓の神事と豊作を祈る神事とが一緒になってこれから行なわれる「ぶしやさい」の神事が出来たのではないかと考える。
弓を引くのは小宮さんの本家と分家の当主で小宮家は自髭神社に関係の深い家柄だそうです。代々この両家の当主が世襲で行なっている。
的は約2mの大きさでそこには16周の渦巻きが書かれている。的までの距離  。この的の上と左、右にそれぞれ1個の椿の枝で作った「鳥形」が付けられている。この鳥形は神社の境内の椿の枝で作られていて「つばめ」と言われている。
矢は7本で、まず3本を本家の当主が、次に分家の当主が3本、最後の1本を本家の当主が。この1本が的に当ると同時に周りで看ていた参詣者たちが争ってこの鳥形をとりあうのである。矢の当り具合で今年の出来不出来を占う。この「つばめ」を持ち帰り門口に下げてておくと悪魔払いとなると信じられていた。参詣者の数に対して『つばめ』の数があまりに少ないので宮司さんが小型ですが同じ椿の枝で「つばめ」を作って希望する参詣者に下さることになったのでお持ち帰りください。
神事の締めくくりとして「なおらい」が拝殿のまえで行はれます。直会と書き、神前にそなえ神が食べられた物を参詣者も食べること「共食」を意味するとされ神の力が食べた人にも移ると考えられ、この行事で精進が解け平常に戻る行事です、ここまで済ませて「ぶしやさい」の神事は終わり。是非ここまで済ませてお帰りください。
○日向風土記によると
米のちからについてニニギ尊が高千穂に降臨された時、世の中は暗闇だった。土蜘蛛(地上に住んでいた者)が『稲の穂を挟んで撒き散らしてください、世の中は明るくなります』と進言した。
その言葉どおりすると、太陽と月が輝き下界は明るくなった。混沌は秩序に代わったとある。
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