夫婦二人三脚のカメラ行脚


1.突然の視力低下
 私は若い頃からドライブとカメラが格別好きでした。
 ところが、44歳の秋頃から急激な視力低下が始まりました。名の有る病院を転々としましたが、約半年
 の間に両眼共に1.5 あった視力が0.04 にまで低下し、原因不明の視神経萎縮と診断されレンズ
 による矯正はできませんでした。
 このことが私の視覚障害の始まりになるとは思いませんでした。

2.カメラへの執念
 光を失ったわけではない。こんなことぐらいでカメラを諦めるわけにはいかない。
 私は一度断念したカメラに再挑戦しようと考えました。そして職場の近くのカメラ屋さんに相談したとこ
 ろ、(株)神奈川フジカラーの「フォトクラブかながわ」(PCK)が、数日後にスタートすることを知り、直ち
  に入会することにしました。
  これが定年1年前のことでした。(1998.10)

3.定年後のフォトライフ
 PCKの半年間のカメラ教室は私にとってメカとテクニックの有意義なウオームアップとなりました。しか
 し、勉強が進むにつれて、視力の壁が大きく立ちはだかってきました。即ち、被写体の多くがオートフ
ォーカスでこなせたのですが、テーマがネイチャー(風景・花等)に移行するにつれピント合わせはマ
 ニュアルでやらなければ駄目と判りました。

4.ピント合わせの助っ人が必要
 ピント合わせは他人に頼るわけにはいかない。助っ人は妻に頼む以外にない。
 撮影会以外のプライベートな撮影では当然のことながら、目的地までの運転は妻の役目でしたが、そ
 れに「ピント合わせ」がプラスされました。
 そして、いつの間こか妻は、撮影地点に着くと「アッシーちゃん」から「ピント屋さん」に早変わりするよう
  になっていました。

5.そして今では
 これが、私達夫婦の二人三脚によるカメラ行脚の始まりですが、最近はピント屋さんも自分のカメラを
 持つようになり、三脚が二台並ぶようになりました。私は内心ニンマリしています。こうして6年の歳月を
 重ね、今年私は古希を迎えたのを機に一つの節目として個展を開催することといたしました。

本日はご高覧いただき誠にありがとうございました。

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